あひるの空の主人公、車谷空。
車谷空が九頭龍高校に入学した理由は、母親が入院する病院が近かったからでした。
そして、あひるの空のの中でも車谷空と母親のエピソードは外すことはできません。
母親の最後となる、病室での車谷空と母親が話すところは涙が止まらないシーンですね。
そこで今回はこんなあひるの空の車谷空の母親の病気や死因などについてまとめていきたいと思います。
車谷由夏について
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— kamiki。。。 (@Y3msua5LrooEuQN) 2019年8月27日
あひるの空の主人公の車谷空の母親の名前は
車谷由夏 (くるまたに ゆか)
旧姓は「堀江」です。
作中にはバスケの繋がりで知人がいます。
横浜大栄高校の監督、酒巻呼人とは夫の車谷智久と共通の知人でした。
車谷由夏もバスケ選手で、元・女子バスケットボール日本代表のプレイヤーです。
身長は159㎝と女性では普通といったところですが、バスケ選手としては小さなほうですね。
そして、初めてもらったユニホームの背番号は『15番』
車谷空と同じで、車谷空が15番にこだわっているのも母親と同じ背番号だからでした。
日本代表時代のポジションはシューティングガード。
車谷空と同じポジションです。
そして、背番号『4番』のユニホームを着ている写真があることから
女子バスケットボール日本代表のキャプテンを務めていたと思われます。
作中で初めて登場した時は車谷ヨネ(車谷由夏の実母)が暮らす神奈川県の病院で入院していました。
もともと、長野県で車谷空と親子3人で暮らしていましたが、父親だけが長野の家に残っています。
車谷由夏の性格は、明るく、負けず嫌いなところがあります。
少し頑固な所は車谷空にも受け継がれていてますね。
ミニバス時代の終わりに、車谷空が母親に泣きつくエピソードは胸が熱くさせるものがありました。
スタメン選手として一度も試合に出れかったことで納得がいかなかった車谷空。
そんなことならバスケを辞めると、バッシュを川に投げ捨ててしまいました。
しかし、母親の車谷由夏は攻めるようなことは言わず、バッシュを拾うために川に入りました。
車谷空がスタメン選手として出場できなかったのは身長が低かったためです。
当時のミニバスの監督の方針は分かりませんが、母親が息子に残した答えは
「言い訳をせずに、努力すること。」
車谷空はスタメン選手として出場できなかった悔しさで一杯でした。
しかし、母親の息子への愛情のこもった行動は後の車谷空の成長には欠かせない思い出となったのです。
神奈川で入院している車谷由夏の楽しみは、息子の車谷空から病院あてに送られるメールを読むこと。
「高校に入学してからもバスケ部に入ったこと。」
「練習試合で丸高と戦ったこと。」
そんな、普通の高校生なら当たりまえの内容も車谷由夏にとっては残り少ない人生の宝となっていくのです。
空の母の病気は何?
このシーンはあひるの空に読んでる人だったら誰でも泣くと思う。 pic.twitter.com/5zNv2uMlr3
— バスケ漫画名言 (@rxxpf5) 2016年3月20日
車谷由夏の病気についてはハッキリとした病名は作中では明かされていません。
しかし、専門的な医師や設備が整っている神奈川県の国立の病院に移ったことから相当重たい病気だと考えられます。
痩せ細った体、激痛で胸を抑えるシーンや、意識が飛ぶほどの痛みを和らげる薬を使っていたことから
腫瘍や癌といった病気だと考えられます。
もともと長野県で家族3人で暮らしていたのも、車谷由夏の病気が見つかったことがきっかけでした。
病気で残り少ない人生となったことで、自然に囲まれる土地での生活を選んでいたのです。
しかし、神奈川県の国立病院に移ったのは、可能性は少なくとも家族と少しでも長い時間を過ごすためでした。
空の母親の死因は?
ここのシーンまじ感動する
これがお母さんと最後に交わした話とか、、、、#あひるの空 pic.twitter.com/vR0OuIifuP— COCORO (@cocoro556355) 2019年4月25日
車谷空の母親、車谷由夏の死因は
病気が手遅れだったことでしょう。
外出することも難しかったはずの車谷由夏が息子の試合を見に行きたいとわがままを言いだしました。
本来なら、外出の許可なんか出なかったはずです。
しかし、担当医師が引率することで息試合を見に行くことが許されました。
このことからも、担当医師は車谷由夏の残された時間が少ないことが分かっていたのでしょう。
また、試合を見に行った後に病状が急変して亡くなってしまいますが、外出したことが死因ではないでしょうね。
やはり、車谷由夏の残された時間は短かったようです。
最後に車谷空が初めてスタメン選手としてバスケをする姿を見ることができきて本当に嬉しかったはずです。
手術をしても手遅れだったのか?
長野県から神奈川県の国立病院に移ったのは専門的な治療を受けるためです。
しかし、病気の治療については手遅れだったようですね。
神奈川県の国立病院で手術もしていましたが「開いて、閉じただけ」ということでした。
自分のからだがもう手遅れだということは分かっていたはずです。
医師が患者家族を納得させるために形だけの手術として開いて閉じるということがあります。
しかし、母親の車谷由夏はわずかな可能性のために手術をすることを決めたはずです。
車谷由夏の手術についてはどうだったのでしょうか?
治療のために胸を開いたが、本当に手遅れだったために閉じたのかもしれません。
まとめ
・車谷空の母親は車谷夏、元・日本代表のバスケ選手。
・車谷由夏の病気についてはハッキリとした病名は作中では明かされていないが、症状や使っていた薬から癌や腫瘍といった病気だと考えられる。
・死因は試合を観戦したことではなく、もうすでに病気が手遅れだったこと。
・神奈川県の国立病院で手術をしているが、手遅れだったため胸を開いて閉じただけの手術に終わっている。
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